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COLUMN

2022.11.10 (最終更新日2023.10.23)

女性があこがれるココシャネルの生涯とは。名言やシャネルの生み出したアイテムを紹介!

ココシャネルは言わずと知れた有名ブランド、シャネルの創業者です。彼女が社会に送り出したアイテムが世界中で愛されてきたのはもちろん、生き方さえも女性の憧れです。

この記事では、シャネルがどのような生涯を歩んだのか、どのような功績を残したのかを詳しく解説するとともに、シャネルの名言や残したものについても紹介します。

ココシャネルの生涯

ココシャネルことガブリエル・シャネルは、1883年にフランスのソミュールで生まれました。幼少期に母親が亡くなり、孤児院や修道院で育っています。18歳で社会に出た後は孤児院で習った裁縫を活かしてお針子として働きながら、キャバレーで歌を歌い、歌手になることを夢見ていたといわれています。

やがて「ココ」という愛称で呼ばれるようになり、1910年にはカンボン通り21番地に帽子店、1912年にはドーヴィルにブティックをオープンしました。

1920年代になるとこだわり抜いたフレグランス「シャネルNo.5」を発表したのち、メイクアップコレクションやダイヤモンドジュエリーを発表するなど、精力的に活動し続けます。

第二次世界大戦中には多くのクチュールハウスを閉店しますが、1954年にカムバックして女性の社会進出に影響を与え続け、1971年に87歳の生涯を閉じました。

ココシャネルの功績

ファッションは時代によって移り変わり、社会情勢の影響を受けます。にもかかわらず1971年にココシャネルが亡くなってからも、彼女が残したものは今なお色褪せることがありません。世界中の人々からの支持を受け、現代でもブランドの歴史は続いています。

ココシャネルがデザイナーとしてのキャリアをスタートした頃は、まだまだ古い習慣や価値観が当たり前の世の中でした。女性が今ほど自由に生き、経済的に自立することも難しかった時代に、ココシャネルは以下のような功績を残しています。

敏腕なビジネスウーマン

ココシャネルが最初にオープンさせたカンボン通り21番地の帽子店は、当時パリ中で注目を集め、フランスの有名な女優たちが着用したことで名声が高まりました。その成功が現代にまで続くブランドの基盤となり、2年後には海辺のリゾート地の人気に目を向け、ドーヴィルという地にブティックをオープンさせています。

その後も自ら広告で被写体となるなど、画期的な取り組みを続けています。ココシャネルは優れた直感と傑出した才能によって、世界規模でビジネスを成功させた敏腕経営者です。

古い習慣から女性を解放

ココシャネルがオープンしたドーヴィルのブティックでは、主に男性用の素材として用いられていたジャージーを使ったスポーツウェアが発売されました。もともとアウトドアでスポーツを楽しんでいた彼女にとって、動きやすいワードローブを作り出すのは自然の流れだったのかもしれません。

シンプルで動きやすいファッションは当時の既成概念を打ち破り、コルセットでウエストを締め付けるスタイルから女性を解放するものでした。控えめながら洗練された黒のドレスも、当時としては革新的なものです。無駄なものを削ぎ落とし、女性の日常生活に寄り添うシャネルのファッションは、現代でも色あせていません。

自由で情熱的な恋愛

ココシャネルは生涯結婚せず、自由で情熱的な恋愛を楽しんだ女性だったことが知られています。歌手になるのを諦めた頃、裕福な将校エティエンヌ・バルサンの恋人となり、上流階級の文化に触れる機会を得ました。その後、バルサンの友人でイギリスの実業家アーサー・カペルとも恋人関係になっています。

各国の貴族やロシアの作曲家ストラヴィンスキーをはじめ、当時の著名人との華麗な恋愛遍歴を重ねた人生です。華やかな社交界での生活や恋愛遍歴の裏には、苦悩や絶望もあったかもしれません。それでも自由を貫き通す彼女のもとには、晩年多くの女性が恋愛相談に訪れたといわれています。

ココシャネルの名言集

ビジネスで多くの実績を残し、プライベートでも数々の恋人との時間を過ごしたココシャネルは、人生で多くの名言も残しています。第二次世界大戦前から活躍している女性の言葉ながら、仕事に恋愛に悩む現代の女性が共感できる言葉も少なくありません。

まだまだ女性が自由に生きることが難しかった時代に、力強く道を切り開いた偉大な先輩の言葉として、きっと心に響く一言があるはずです。ここでは彼女が残した多くの名言の中から一部を紹介します。

「モードではなく、私はスタイルを作り出したのだ」

どれだけ支持されたものであっても、一時的な流行は時が経てば廃れていく運命にあります。そのうち飽きられたり、時代のニーズに合わなくなったりすることは仕方ありません。しかしスタイル(生き方)は廃れないという強い言葉です。

シャネルが初めて作った動きやすいジャージー素材の服や、当時喪服の色でしかなかった黒を使ったドレスも、今では当たり前のように存在します。かつて恋人とともにアウトドアのスポーツやレジャーを楽しんだ経験をもとに生み出されたワードローブは、時を経た現代でも古さを感じさせないココシャネルの生き方そのものかもしれません。

「私の人生は楽しくなかった。だから私は自分の人生を創造したのだ」

幼い時期を孤児院で過ごしたココシャネルは、自分の生い立ちを隠すことがあったともいわれています。それだけ私たちには想像しがたいほどの辛い思いや悔しさを抱えていたのかもしれません。一方で幼少期の経験によって、自分の人生は自分で創り上げるという強いエネルギーを生み出した、とも考えられます。

「私は流れに逆らって泳ぐことで強くなったの」という言葉も残したように、逆境さえ強さに変え、糧としてきたのでしょう。人と違うことを恐れず、自分の信じる道を歩み、人生を切り拓いてきたココシャネルの言葉だからこそ、人の心に突き刺ささります。

「たくさんの色を使うほど、女性は醜くなることに気づかない」

後述するリトルブラックドレスを作る動機ともなった言葉です。当時の上流階級では、女性たちは華美なドレスを身にまとい、価値ある宝石などの装飾品にもお金をかけていました。黒色は喪服以外で誰も着ることを考えなかった時代、たくさんの色を使うほど女性が醜くなるという考えは革命的だったに違いありません。

シャネルの言葉どおり、無駄を削ぎ落としたシンプルで着心地のよいファッションは女性を引き立て、多くの人に受け入れられています。ファッションはお金をかけたから素晴らしいのではなく、センスで楽しむものであることを証明する結果となりました。

「20歳の顔は自然の贈り物。50歳の顔はあなたの功績。」

シャネルのこの名言は、正確には「20歳の顔は自然の贈り物。30歳の顔はあなたの生活。50歳の顔はあなたの功績。」です。恋愛をしたり、結婚・出産後は育児に忙しかったりなど、女性にとって20代から30代は、さまざまなライフイベントを経験する時期です。

打ち込める仕事に出会い、ココシャネルのように邁進する人もいるでしょう。百人いれば百通りの人生があります。同じ顔に生まれていたとしても、自身の生き方次第で50歳になったときの顔は違っていて当然かもしれません。生き方が顔に表れるのなら、50歳になったときいい顔をした自分になっていたいというメッセージが感じられます。

ココシャネルが生み出したもの

ココシャネルの登場前後で、女性のファッションは大きく変化しました。シンプルで動きやすく、機能的なアイテムを数多く発表し、女性のライフスタイルにも影響を及ぼしています。当時は当たり前だったものが時代遅れに感じるほど、彼女が世に送り出すファッションは常識を覆すものでした。

発表されてから現代まで、多くの女性の支持を受け続けているアイテムも少なくありません。ここからは具体的にシャネルが生み出したものを紹介していきます。

シャネルスーツ

現代の女性にとって、スーツは欠かせないファッションアイテムの一つです。そのスーツにも、ココシャネルは大きな変革をもたらしています。

シャネルスーツはそれまで男性用の素材として使われていたツイードを採用し、1950年代半ばに誕生しました。最初に登場したのは襟のない丸首のボックス型ジャケットとスリムなひざ丈のスカートで、ロゴ入りの金ボタンが付いていました。

その後デザインのバリエーションは増えましたが、普遍的で流行に左右されないデザインは変わりません。特にアメリカでハリウッド女優をはじめとしたセレブに支持されて話題となり、現代に至るまで世代を超えて世界中に多くのファンを持つアイテムです。

リトルブラックドレス

現代では定番となっている黒を使ったドレスも、シャネルのリトルブラックドレスが発表される前は一般的ではありませんでした。それまで黒といえば喪服の色だったからです。 ココシャネルは黒をシンプルかつエレガントなカラーとして注目し、カジュアルでもドレスアップしても着られるドレスとして1926年にリトルブラックドレスを発表しています。

歴史を彩ってきた往年の名女優たちや、世界中のセレブにも愛され続けているアイテムです。多くの色を使った派手な装いよりも、シンプルに黒を着こなす女性たちの輝きが注目を集めるにつれて、リトルブラックドレスはファッションの定番となりました。

女性用ショルダーバッグ

現代では当たり前のように使われている女性用のショルダーバッグも、世界で初めてシャネルが作りました。現在マトラッセとして人気を博しているバッグの原型であり、発表された1955年にちなんで「2.55」と呼ばれています。2.55はキルティング素材のバッグにチェーンストラップを施したことで、両手を自由に使えるようになったことが大きな特徴です。

2.55はそれまで両手が使えないハンドバッグなどに不自由さを感じていた女性たちの心をつかみ、女性の社会進出とも相まってシャネルのアイコンバッグとなりました。2.55を引き継ぐマトラッセも、発売されると即完売するほどの人気アイテムです。

女性たちが憧れるココシャネルの人生

1910年に最初の店舗をオープンし、既成概念を打ち破るアイテムを生み出してきたココシャネルはビジネスの成功者であるとともに、生き方そのものが女性の憧れでもあります。彼女の残した言葉が心に突き刺さるのは、歩んできた人生に裏打ちされた本物の言葉だからでしょう。

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