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COLUMN

2024.10.21 (最終更新日2024.10.21)

世界で珍重されてきた金の歴史。文明・地域別に金とのかかわりを解説!

古代文明が栄えた時代から現代に至るまで、金は世界各地で珍重されてきました。いつの時代も、なぜ金は人々の心をそれほどつかむのでしょうか。もちろん黄金色の美しい輝きも理由の一つでしょう。しかし、理由はそれだけではありません。

この記事では文明や地域別に、人がどのように金と関わってきたのかを詳しく解説します。

世界で珍重されてきた金。なぜ価値があるの?

金は古代文明の時代から人々を魅了してきました。大航海時代やゴールドラッシュの時代になると、人々は金を求めてさらなる行動を起こすようになります。

現代では金の取引は世界中で行われ、金を持っていれば世界のどこでも現金への換金が可能です。有事の金ともいわれ、戦争や大規模災害などが発生しても、金はあまり価値が下がりません。むしろ有事には金の人気が高まり、それに伴い金価格も上昇する傾向があります。

以下の段落では、金がなぜ価値があると考えられるのか、その理由を掘り下げます。

美しい輝きは富の象徴

金はなんといっても、その美しい黄金色の輝きが人を惹きつける魅力になっています。しかし希少価値の高い金は、誰でも簡単に手に入るものではありません。地球上に存在する金の量は23万トン程度とされ、限られています。世界の歴史をみても金は時の権力者が身に着け、富や権力の象徴とされてきました。

現代でも資産として金を所有することは珍しくありません。さらに、歴史的には国が金を管理していたり、金を巡って争いが起こったりするなど、単なる財産という意味合いを超えたものがあります。それほど金は、人の心を掻き立てる存在だということでしょう。

錆びない性質は不老不死の象徴

金がこれほどまでに珍重されてきた理由として、その性質があります。金は長期間置いておいても輝きを失わず、他の金属と比べても安定した物質です。金を溶かすことができるのは、王水(塩化ニトロシル)やセレン酸(熱濃セレン酸)シアン化アルカリの水溶液が知られており、通常の酸では溶けません。

酸化しにくく、錆びない特徴から、人々は金から不老不死を連想してきました。一般的に出回っているアクセサリー類には他の金属(割金)が混ぜられているため、割金の割合が多いほど錆びやすくなっています。しかし、純金は常識的に保管していれば、基本的に錆びることはありません。

金が半永久的に輝き続ける様子を見て、古代に生きた人たちは不老不死=永遠のイメージを重ねてきたのでしょう。

主に装身具として使用された

安定した物質であることが金の特徴の一つですが、同時に他の金属に比べて柔らかいという特性も持っています。展性・延性に優れていることから、叩いて薄く引き延ばせるのは金のメリットです。金箔や金粉として活用されているのがいい例でしょう。

しかし、その柔らかさゆえに、金は実用的なアイテムとしてはあまり使われてきませんでした。一方で、その輝きと相まって、装飾品として多く使用されてきた歴史があります。
純度100%の純金ジュエリーは柔らかすぎて日常で身につけるのには向かないため、現在では他の金属を混ぜることで耐久性を向上させてから、アクセサリーの素材として幅広く利用されています。

古代文明と金のかかわり

金は古代から貴重なものとして扱われていました。世界四大文明に数えられるメソポタミア文明やエジプト文明でも、紀元前にはすでに金が用いられていたことが分かっています。具体的にどのような形で金が利用されていたのか、どのような意味合いがあったのかなど、まずは古代文明からみていきましょう。

古代メソポタミア

古代メソポタミア文明は、チグリス川とユーフラテス川の流域で発祥した世界最古の文明です。シュメール人によって築かれたとされ、紀元前6000年頃から繁栄していたともいわれています。その時期には金がすでに生活の中に取り入れられ、装飾品として加工もされていました。

古代都市ウル(現在のイラク)には紀元前2600年頃の王墓(通称「ウルの王墓」)があり、金で作られたイヤリングや頭飾りなどの装飾品、ハープなどの楽器が見つかっています。シュメール人は「アナンヌキ」と呼ばれる神を信仰し、天文学をはじめ優れた知識を有していました。

古代エジプト

有名なツタンカーメンの黄金マスクからイメージするように、古代エジプトといえば金がふんだんに使われた装飾品を思い浮かべるかもしれません。実際に古代エジプトの王族の墓からは、副葬品として多くの金製品が見つかっています。

紀元3000年頃から栄えたエジプト文明では、太陽神ラーが崇められていました。金の輝きは太陽と結びついて神聖、かつ不滅だと考えられ、儀式や祭祀には欠かせないものでした。金は希少性が高い上に神聖視されていたため、一般市民は持つことを許されておらず、高貴な身分のファラオたちだけが身に着けていました。

大航海時代と金のかかわり

15世紀半ばから17世紀半ばになると、ヨーロッパは大航海時代に入ります。スペインとポルトガルを中心としたヨーロッパから、アフリカやアジア、アメリカへと大規模な航海が行われるようになりました。ヨーロッパの列強国が支配を世界へ広げようとして海を渡っていった大航海時代は、金とも深い関係があります。

現代でも南アフリカは金の産出国として知られていますが、大航海時代もすでにヨーロッパの国々がアフリカで金を探し求めていました。当時は主に、東アフリカや西アフリカが産地として注目されていたことが分かっています。

多くの金が採掘されていた南米のインカ帝国にも、大航海時代になるとスペイン人がたどり着きました。インカ帝国は金に恵まれた国でしたが、金を巡る争いが激化し、結局滅ぼされてしまいます。マルコ・ポーロの著書『東方見聞録』に触発され、コロンブスも黄金の国、ジパングを探し求めていました。

ゴールドラッシュの時代

1800年代の半ばになると、アメリカやオーストラリアで金鉱脈が発見されたことにより、ゴールドラッシュが起きます。一攫千金を目指して多くの人が新天地へ赴き、金の歴史は新たな段階に入りました。

ゴールドラッシュがどう発生したのか、その後の歴史にどのような影響を与えたのか、アメリカのケースとオーストラリアのケースをそれぞれ解説します。

アメリカのゴールドラッシュ

アメリカのゴールドラッシュは大工だったジェームズ・マーシャルが、カリフォルニア州を流れるアメリカン川で金を発見したことから始まりました。金発見のニュースが広がるにつれ、国内はもとより海外からも金を求めて多くの人が移住しています。

中でも多かったのは中国人でした。勤勉だった中国人は鉱山での労働のほか、大工や料理人などさまざまな職業の担い手として受け入れられましたが、地表近くの金が減少してくると排斥されるようになっていきます。1850年になると外国から採掘しにきた人に対して20%の税金が課されることになり、金も枯渇しはじめました。

この時期になるとオーストラリアでも金が発見され、徐々にカリフォルニアのゴールドラッシュは衰退していくことになります。ただ金の発見当時は人口も少なかったカリフォルニアがアメリカの正式な州として認められるようになるなど、ゴールドラッシュはアメリカの社会や経済に大きな影響を与えることとなりました。

オーストラリアのゴールドラッシュ

オーストラリアでも1800年代中頃になるとニューサウスウェールズ州のシドニー近郊で金が発見され、ゴールドラッシュが始まります。その後、ヴィクトリア州のメルボルン近郊やバララット、ベンディゴなどが、大規模な金鉱の中心地となりました。

オーストラリアもアメリカと同様に、外国や他の植民地から多くの移民が流入しています。その結果、ニューサウスウェールズ州やヴィクトリア州の人口は短期間で大幅に増加しました。

ニューサウスウェールズ州やヴィクトリア州での金の採掘が下火になった頃、クイーンズランド州や西オーストラリア州でも金が発見されています。当時のオーストラリアはイギリスの管轄下に置かれた植民地でしたが、金の採掘で経済力をつけたことにより独立を果たすことになりました。

日本と金のかかわり

日本でも、歴史的に金が重宝されてきたことが分かっています。国内でも金が発見されるようになると、金を使った工芸品が作られたり建築物が建てられたりしました。
黄金の国ジパングとして、当時のヨーロッパでも知られるようになるなど、日本も金とは関係が深い国です。金が使われた代表的な建造物について、背景も含めて解説します。

日本で採掘した金で作られた東大寺の大仏

日本で最古の金製品として確認されているのは、福岡県の志賀島で発見された漢委奴國王印の金印です。ただしこの金印は漢の皇帝から贈られたもので、日本で採掘された金が原料ではありません。日本では奈良時代まで金を産出しておらず、朝鮮半島で栄えた新羅や高句麗からの輸入に頼っていました。

日本で金が見つかったのは749年です。聖武天皇の命により、奈良の東大寺では大仏の建立が進んでいましたが、途中で金が不足する事態に陥ります。遣唐使の派遣も検討される中、陸奥守百済王敬福によって陸奥国小田郡、現在の宮城県遠田郡涌谷町で純度の高い砂金が発見されたことにより、752年に無事大仏は完成しました。

760年になると日本初の金貨幣「開基勝宝」が作られ、現存する32枚は重要文化財に指定されています。もともと金を輸入に頼っていた日本ですが、8世紀後半からは逆に金を渤海や新羅に輸出するようになりました。

「黄金の国ジパング」のモデルになった中尊寺金色堂

平安時代後期になると金の産地を奥州藤原氏が掌握し、平泉は産金による経済力を背景として、日本有数の都市に成長していきました。奥州の金で広く知られているのは、岩手県の平泉町にある中尊寺金色堂です。中尊寺金色堂には奥州産の金がふんだんに使われ、1124年の創建当時から変わらぬ美しさを今に伝えています。

13世紀にマルコ・ポーロが綴った著書、『東方見聞録』で紹介したのが中尊寺金色堂であったと考えられています。これが黄金の国ジパングのモデルになり、大航海時代になるとコロンブスなどの探検家たちに大きな影響を与えました。

室町時代の1397年には京都に室町幕府の3代将軍、足利義満によって金閣寺が建立されています。金閣寺は焼失による被害を受け、建立時そのままの姿ではありませんが、当時栄えた北山文化の象徴としてユネスコの世界文化遺産にも登録されています。

世界を魅了する金

金は古代文明が栄えた紀元前の時代から大航海時代、ゴールドラッシュの時代を経て現代に至るまで、重宝されてきました。日本でも金が採掘されるようになり、中尊寺金色堂の輝きは今も多くの人を惹きつけています。

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