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大判小判の価値とは?種類から売却時のポイントまで徹底解説!
大判小判を保有しているものの、どのくらい価値があるのか、売却できるのかなど気になっている人もいるのではないでしょうか。かつて大判小判は高価な財宝だったというイメージですが、現代も価値があるのか気になる人も多いはずです。
そこでこの記事では、大判小判の歴史やどのような価値があるのかをはじめ、種類や売却する際のポイントなどを徹底解説します。売却を検討している人は、ぜひチェックしてみてください。
目次
大判小判とは?
大判小判とは、安土桃山時代に誕生し江戸時代は実際に通貨として使用されていた金貨のことです。どちらも金を叩いたり引き延ばしたりして、薄い楕円形に作られています。大判の裏には金額や作った人の名前が墨書されているのが特徴です。
小判1枚当たりの額面は1両で、大判1枚あたりの額面は7両程度から20両程度までと製造された時代によって変わります。
ちなみに江戸時代に流通していた貨幣は、金・銀・銅の3種類です。江戸は金貨を、大阪では銀貨を主に使用していました。
大判と小判の違い
大判と小判はまず、金の含有量が異なります。発行された時期にもよりますが、大判は金の含有量が70%程度だったのに対し、小判は50%前後(なかには金の含有量が80%以上あった小判もあります)です。小判は金銀の合金を使用して製造されている貨幣で、薬品を使用して表面を金色に見えるように加工していました。
大判は金の純度が高く高価なものだったため一般的には流通していない、希少な金貨でした。そのため権力者などが贈答品・恩賞品として使用するケースが多かったようです。小判は流通量も多く日常的に使用されていましたが、幕府の財政状況や金の流通状況により質が落ちたり、軽くなったりすることもありました。
大判小判の歴史
大判が初めて発行されたのは安土桃山時代、1588年(天正16年)のことでした。豊臣秀吉が後藤徳乗という彫金師に作らせた「天正大判(てんしょうおおばん)」が最初です。
一方日本で最初の小判は、1595年(文禄4年)の駿河墨書小判・武蔵墨書小判とされています。なお幕府として初めて発行した小判が製造されたのは、1601年(慶長6年)になってからです。徳川家康が徳川幕府を開府するにあたり、通貨を全国統一のものにするために製造が開始されました。
同じタイミングで大判も新たなものへと変更されています。このとき発行されたのが「慶長大判(けいちょうおおばん)」と「慶長小判(けいちょうこばん)」です。
それから200年以上にわたり発行されていた大判小判ですが、大判は1862年(文久2年)、小判は1867年(慶応3年)の製造で終了となりました。最後の大判小判となったのが「万延大判(まんえんおおばん)」と「万延小判(まんえんこばん)」です。
大判小判は時代によって異なり、製造が終了するまでに複数の種類が発行されています。
大判小判の価値
江戸時代には実際に使用されていた大判小判。現在は古銭として取り扱われており、売買も可能です。では大判小判にはどのような価値があるのでしょうか。
金としての価値
金は古代エジプト時代から貴重なものとして扱われてきてきました。さらに地球に埋蔵されている量も限られている、希少性の高い金属です。金の価値は世界共通で、金そのものに価値があるため、世界情勢が悪化しても価値が0になることはありません。そんな金が使われている大判小判には、金としての価値があります。
基本的には大判のほうが金の含有量が多いため金としての価値も高くなりますが、使用されている金の割合は時代や種類によって異なります。先述のとおり江戸幕府の財政が厳しくなったり、金の流通量が減ったりするにつれて、金の含有量も減る傾向があったからです。
古銭としての価値
大判小判には古銭としての価値もあります。大判小判は古銭のコレクターや歴史愛好家からの人気も高く、専門店の他、競売で売買されています。取引価格は数十万円のものもあれば、数千万円で取引されるものも珍しくありません。
大判小判の古銭としての価値は金の含有量だけでなく、流通量や歴史的背景、製造された年、保存状態などさまざまな点が考慮されます。現存している枚数が少なかったり、製造年が古かったり、保存状態が良かったりすると価値が上がりやすいです。 もしお手持ちの大判小判を売却したい場合は、種類や発行年も確認しておきましょう。
大判の種類
秀吉が作った天正大判
「天正大判(てんしょうおおばん)」は、1588年(天正16年)から製造されていた大判です。秀吉が作った最初の大判で、金の含有量は70~76%程度です。
天正大判には、縦の長さが17cm以上ある「天正長大判(てんしょうながおおばん)」、上下に菱形の極印のある「天正菱大判(てんしょうひしおおばん)」、豊臣秀頼が作った「大仏大判(だいぶつおおばん)」などの種類があります。大仏大判は京都にある方広寺大仏殿を再建する目的で発行されました。
現存している枚数が少ないため非常に希少で、数千万円以上で取引されるケースが少なくありません。
美しく人気の高い慶長大判
「慶長大判(けいちょうおおばん)」は1601年(慶長6年)から発行されていた大判で、徳川家康の命により製造されました。金の含有量は68%程度で、意図的に銅を混ぜて黄金色にしたといわれています。
1601年から発行されている、笹の葉に見える墨書の花押が特徴の「慶長笹書大判(けいちょうささがきおおばん)」と、1657年(明暦3年)に発生した江戸の大火により焼けてしまった金銀で製造された「明暦大判(めいれきおおばん)」があります。より高く評価されているのは、慶長笹書大判のほうです。
現存するものが少ない元禄大判
1695年(元禄8年)から発行されていたのが「元禄大判(げんろくおおばん)」です。製造量を増やす目的で金品位を下げたため、金の含有量は52%と他の大判よりも少ないのが特徴です。
しかし、当時は大量に製造されていましたが現存している枚数は少なく、高値で取引されやすいです。大判の形状は角ばった楕円形をしており、表には「拾両後藤」、裏には元禄の「元」の文字が記されています。
最初に公定価格が定められた享保大判
「享保大判(きょうほうおおばん)」は、1725年(享保10年)から製造された大判です。金の含有量は68%程度で、丸みのある楕円形が特徴です。元禄大判は金品位を落として製造されましたが、享保大判では慶長大判の金品位に戻されています。
長期間にわたり製造された享保大判は、1枚あたり7両2分と公定価格が設定された初めての大判です。長い間使用されていたことで墨書が薄くなり、書き改めたものが多いため、元書きのまま残っているものは非常に貴重とされています。
希少価値のある天保大判
「天保大判(てんぽうおおばん)」は、1838年(享保9年)から製造されていた大判で、金の含有量は67%程度です。製造された枚数は1,887枚と少ないため、希少性が高い大判です。
享保大判とよく似た見た目をしていますが、金の純度は天保大判のほうが低く、極印のデザインも違います。「吹増大判(ふきましおおばん)」「天保吹増大判(てんぴぽうふきましおおばん)」と呼ばれることもありました。
小判の種類
日本最古の小判?駿河墨書小判
「駿河墨書小判(するがすみがきこばん)」は、日本最古といわれている小判の一つです。安土桃山時代の1595年(文禄4年)に製造されたといわれており、これまでに確認されているのは数枚程度です。
駿河墨書小判は、製造を命じた人物もはっきりわかっていません。徳川家康や豊臣秀吉の家臣、中村一氏が命じたのではないかという説もあります。丸みのある形状が特徴で、希少性の高さから数千万円で取引されるケースもあります。
慶長小判の元になった?武蔵墨書小判
駿河墨小判と同じ1595年(文禄4年)に製造されたのが「武蔵墨書小判(むさしすみがきこばん)」です。徳川家康が製造を命じた小判で、徳川幕府を開くにあたり製造された慶長小判の元になったともいわれています。金の含有量は84%程度、小判の表には「武蔵壹兩(いちりょう)光次」と墨書されています。
東京都やその周辺の6県にあたる関八洲エリアで使用されていたもので、製造された枚数が少ない上に、新しい貨幣ができるとともに回収されました。そのため現存する武蔵墨書小判は非常に少なく希少な小判です。
江戸幕府初の小判、慶長小判
「慶長小判(けいちょうこばん)」は、1601年(慶長6年)に徳川家康が製造を命じた江戸幕府最初の小判です。金の含有量が84%程度と小判のなかでは純度が高く、サイズも大きめで、製造場所などによりいくつかの種類があります。
表面のござ目が粗ければ慶長初期に製造されたもの、ござ目が細ければ慶長後期に製造されたものです。ござ目とは、小判の表面にある畳の目のような模様のことです。持ちやすさや見た目の美しさをアップさせるためにつけたという説もありますが、金が含まれている小判が削り取られないように施されたともいわれています。
慶長小判は後期に製造されたもののほうが現存数は少なく、希少性が高くなっています。
勘定奉行・荻原重秀による元禄小判
「元禄小判(げんろくこばん)」は、1695年(元禄8年)に発行されました。金の含有量は57%程度と、慶長小判よりも金品位を下げて製造されています。元禄小判は慶長小判2枚に銀を混ぜ合わせ、小判を3枚製造していました。
これは、慶長小判の金品位が高く一般に浸透しなかったため、金品位を下げて小判の流通量を増やそうとしたからです。このような金品位を落とした元禄小判は勘定奉行の荻原重秀が考えたもので、結果的に小判の流通量はアップし、幕府の収益が上がりました。元禄小判は金の含有量が少ないため、白っぽい色をしているのが特徴です。
慶長小判より小ぶりな宝永小判
「宝永小判(ほうえいこばん)」は1710年(宝永7年)に製造された、金の含有量が84%程度の小判です。「乾字金(けんじきん)」「宝永金(ほうえいきん)」とも呼ばれています。元禄小判は流通量を増やすために金品位を下げたものの、小判自体はもろいものでした。そこで宝永小判では金品位を慶長小判と同等に戻しています。
とはいえ当時は産出できる金が少なかったので、金品位は慶長小判と同等にしつつ、小さめのサイズになりました。宝永小判は金の純度が高いため価値が高く、比較的高値で取引されています。
大判小判の売却時のポイント
大判小判の売却を検討している場合、取り扱いには十分注意して大切に保管しておきましょう。
例えばきれいにするために自分で磨く、硬い箱にそのまま入れて保管しておくなどは避けたほうが無難です。自分で磨くとかえって傷がついたり、古銭ならではの風合いがなくなってしまったりする可能性があるためです。保管する際も衝撃を避けるため、やわらかい布に包むなどしてから保管します。
また大判小判の価値を見分けるのは簡単ではありません。そこで売却する際は、リサイクルショップやフリマアプリなどを利用するのではなく、大判小判の買取実績が豊富な買取会社に依頼するのがおすすめです。
価値のある大判小判
大判小判には種類があり、製造された時期によって金の含有量やデザインが異なります。種類ごとに特徴がある点や、時代背景が反映されている点も大判小判の魅力です。また金としての価値はもちろん、古銭としての価値もあるため、売却する際はしっかり見極めてもらえる買取会社を選びましょう。
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